延暦14(795)年、坂上田村麻呂が東夷征伐に功をなし、その帰途、武運を感謝するため一社を造営し、誉田別尊を奉斎したのが始まりと伝わる。
康平6(1063)年、源頼義が石清水八幡宮を勧請、永保2(1082)年には源頼家が社殿を造営するなど源氏の崇敬厚く、遠征の度に戦勝祈願、寄進がなされた。
元暦年間(1184〜5)、小山政光の二男宗政が、当地、長沼庄を拝領して城を構え長沼氏を名乗り、長沼氏の守として鶴岡八幡宮を勧請した。
建久4(1193)年、源頼朝が長沼に宿泊した際、神夢により「加茂社(別雷尊)・春日社(天児屋根尊)の両神を祀れ」の神託を得て両神を勧請、神領五百石が下賜された。
鎌倉御家人、さらに関東八屋形の一として勢力を誇っていた長沼氏の庇護の下、神社も栄えたが、戦乱の文明年間(1469〜87)、十二代長沼成宗の時に長沼城落城。神領も没収され衰退する。
江戸時代に入ると幕府から庇護され、慶長9(1604)年、徳川家より御采地十石を賜る。
寛永20(1643)年社頭等修営、元禄10(1697)年社殿を再興し、青銅鳥居を建立。さらに本地堂の建立、二荒山神社・熊野神社の勧請。天明7(1787)年随身門が建立された。
春季例祭には嘉永2(1849)年に始まる永代太々神楽が今もなお奉納され、社頭は大いに賑わう。
また十五夜の秋の例祭には、かつて流鏑馬(やぶさめ)が行なわれていた。
主祭神 | 誉田別尊(ほんだわけのみこと) |
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配 祀 | 天児屋根尊(あめのこやねのみこと) |
別雷尊(わけいかずちのみこと) |
本殿 | 三間社流造 元禄10年(1697)再建 |
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末社 | 日光二荒山神社(東側) 三間社流造 延享3年(1746)建立 |
熊野神社(西側) 三間社流造 延享3年(1746)建立 |
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随身門 | 天明7年(1787)建立 |
青銅鳥居 | 栃木県指定文化財 |
旧本地堂 | 通称 弥陀八幡(みだはちまん) 正徳3年(1713)建立 |
二荒山神社と熊野神社
社殿の東西に立つ末社「二荒山神社」と「熊野神社」は同時期に建てられた(1746)お社です。それぞれ豪華な彫刻が施されており、日光三山、熊野三山の神様をお祀りしています。山岳信仰の神社が同時期に建立された経緯については伝わっていませんが、かつてこの地域には関東でも有力な修験寺院である「金剛院」があり、長沼庄は修験の信仰の大変盛んな地でありました。
また、ここ長沼地域には「星宮神社」が点在しており、日(熊野神社)月(二荒山神社)星(星宮神社)の三光信仰の拠点であったことも考えられます。
むすびの神 二荒山神社
二荒山神社は日光三山の神、大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命の親子三神をお祀りしています。
大己貴命はだいこく様としても知られており、大変慈悲深く、様々な「むすび」をつかさどる神様です。家族円満、子孫繁栄、子宝祈願、良き伴侶にめぐり合うための良縁祈願など「家族のむすび」を願い、お参り下さい。
※令和4年春に修理工事が無事に完了しました。御協力いただきました皆様に感謝申し上げます。
千勝神社は、江戸時代に常陸国坂井(現下妻市)より勧請されました。御祭神の猿田彦命は、導きの神・道開きの神、そして「勝運の神」として崇敬されてきました。また「勝(しょう)」は「商(しょう)」にも繋がることから、 「商運の神」として商人からの信仰も厚かったようです。古くから、願掛けに「千勝鳥居」が奉納されており、社殿にも古い「千勝鳥居」鳥居がたくさん納められています。現在もこれに則り、商売繁盛祈願・必勝祈願の方に「千勝鳥居」の御奉納をいただいております。